2012年1月23日月曜日

なんと、珍しいキリマンを飲んだ!


ヘッヘーだ! 

アメリカで暮らし始めてもう大分になるが、これまでコーヒーの王者と云われる『キリマンジャロ」なる豆を買った事はなかった。いや、見た事すらなかった気がする。自称「コーヒーオタク」の私が云うのだから、これホント!

日本では良く聞く名前だけど、アメリカでは本当、殆ど見る事はない銘柄。

そんな「キリマン」を先日、私がひいきにしているコーヒー屋さん「スタンプタウン・コーヒー・ロースター」で見つけた。そりゃもう、迷わず2袋購入しちゃいました。でもさすがに「キリマン」、そこいらのシングル・オリジンとは値段が違う。普通の中南米やアフリカ産のコーヒー豆は、1ポンド当たり大体$14〜16くらいなのだが、「キリマン様」は$28もしてた。 でも、そこはそれ、コーヒーオタクの私、この機会を逃す訳がないでしょ。

ちあみにこの「キリマン」、エル・サルバドルで穫れたらしい。でもキリマンジャロってアフリカの山だよね。どうなってんだ??


実はそのうちの1袋は、未だに特別の冷蔵庫に保管してある。いま2ヶ月くらいが経とうとしているんだけど、もう暫くしたら開けて、試飲してみるつもり。

まぁその事は今日は置いといて、もう1袋の方は即座に挽いて飲んでみたので、その感想を。

はっきり云って、わたしがこれまでに試した中南米産のシングル・オリジンの中で、これほど明るく躍動的なキャラを持ち、バランスが良く、口の中ではじける様な味わいのコーヒーは飲んだ事がなかった。熟れたオレンジとパイナップルのような心地よい酸味、カシューナッツの様な香ばしさとマッタリ感、シナモンとリコリスの様なパンジェンシーとほのかな刺激、それら全てが喧嘩をせずに同居している云うべきか。

さすがに「キリマン」。腐ってもキリマンなんだなと、つくづく思わされた。

最後に特筆すべきは、スタンプタウンのローストの上手さ! 感動ものである。あのコーヒー豆、見方を変えれば「じゃじゃ馬」のような強烈なキャラを持つ豆、の美味さを最大限に挽き出すべく、絶妙な温度加減と時間帯を駆使して、最高の状態で仕上げている。

エル・サルバドルのキリマンの秘密は実はこうだ。ご当地では有名な”こだわりコーヒー農園”の主が、アフリカからキリマンの苗を持ち帰り、およそ7年がかりでサルバドラン高地に順応させることにより、やっと収穫に漕ぎ着けたのだそうだ。これはUSDAの認定すら受けてはいないが 、ほぼ完全な有機農法による栽培で育成されているらしい。切れ味の良さはそこから来るに違いない。

これを読んで生唾を飲み込んでいる皆さん、今度あれが店に並んだら、迷わず絶対買いに行くべし!

ランプからの電話 ー 久々のブログ書き


以前自分のデジカメをカバンごと盗まれて以来、ブログを書いていなかった。なんか写真が無いと書く気がしなかったんだけど、何故だろう。

でも去年のクリスマスに、実は私はクリスマスや誕生日にプレセントをあげる事をしないという信条なんだけど、娘達が小遣いを併せて私に、以前盗まれたものと全く同じ機種のデジカメを買ってくれたのである。

さすがにこの時ばかりは嬉しかった。別に得意だと云う訳でもないけれど、写真を撮るのが好きな私にとって、カメラのない生活はあんこの入っていないアンパンみたいなもので、じつはこの数ヶ月の間大変むなしい時間を過ごしてきたのだった。月並みな言い方だが、やはり家族とは有り難いものなのだと、この時はしみじみと再認識した次第。

さてそんな訳で、決して高級機種ではないがとても使い易く手に馴染んだカメラが戻った私は、またブログ書きの習慣を再起動させることにしたのだが、そんな矢先のある日にこんな電話を受け取ったので、その事をお知らせしておきたい。

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今朝は何故かビビッドな夢を見ながら目が覚めた。時間は5時14分である。目が覚めてそのまま瞑想に入ると、鮮明なイメージとサウンドが、夢の続きのように現れてきた。そのヴィジョンの中で私は一通の電話を受け取る。瞑想中の私は一切話しをしないが、電話の相手は私に向かって、実に親しみの或る口調で私に一つの質問をしてきた。私はその問いかけの事をすぐに理解して、本当は即座に答えが出ていたのだが、わざと暫く考える様な時間を置いて、私は声を出さずにそれに答えた。、、、

私のカミさんは、日系コンサーンズというシアトル最大のアジア系老人介護施設で働いているのだが、私も良くそこに行く機会がある。日系コンサーンズでは、老人性認知症障害のご老人や、病気の末期的患者をケアするホスピス、そして病気ではないが常時介護を必要とするご老人達のための養護施設等、様々な分野を網羅している。

ある日私が尋ねて行くと、たまたま1人の日系1世のおばあちゃんに出会った。たしかカミさんから名前を聞いた気がするが、今は憶えていない。私は人の名前と電話番号を覚えるのが大の苦手なのである。そのおばあちゃんは車椅子に乗っていて、ボランティアの介護士さんに押してもらって移動中だったと思う。私の横に居たカミさんが「はーい◯◯さん、こんにちは!」といっておばあちゃんの手を両手でとって握手すると、そのおばあちゃんは満面に笑顔をたたえて、「今日もいいお天気ねぇ」を受け答えていた。体の不自由なご老人達は、決して毎日外に出れる訳でもないのだが、「へぇ、車椅子に乗っててもやはり外の天気は気にしてるんだな」と私はその時関心したのを憶えている。

でもちょっと待てよ、たしかあの時は外は曇っていたと思うんだけど。

カミさんが私の事を「自分の旦那です」と紹介するので私がゆっくり右手をだすと、 更に大きな笑顔でもって私の手を両手で持ちながら、「旦那様はお若いのねぇ」とか言いながら、持っている私の右手を2〜3度優しく揺すってくれた。ほんの30〜40秒くらいの、普段忙しく毎日を送っている働く社会人の私達にとっては、単なるすれ違いの通行人とほとんど変わらないような出会いでありご挨拶の時間だったが、そのおばあちゃんはそんな出会いをとても嬉しく思ってくれているのだと、私はその時感じる事が出来た。

そしてそのおばあちゃんは歩き去ろうとする私に向かって、「私はね、これからランプになるのよ! あなたも良いランプになるわねぇ。」と静かな口調で言うのだった。私はこの時おばちゃんの云っている意味を100パーセント理解しなかったが、おばあちゃんの優しい笑顔には、私なりの出来る限りの笑顔で答えた。「良かったですねぇ、おばあちゃん」と。

あれから数ヶ月が経ったが、その間おばあちゃんの事も、おばあちゃんが云った事もすっかり忘れていた。あまりにもいろいろな事が矢継ぎ早に起きて行くので、こちらはそれらの出来事に「対応」しているだけとも云える様な、そそくさとした毎日だったかも知れない。でも内面的には、自分が学んできた事、悟ってきた事を、毎日の出来事が 「それらは正しかった」事を納得させてくれる事の連続だった。

ひとは所業無常の世界に生きている。生まれたものは死んで行き、建てたものは崩れる。出会いもあれば別れも或る。目に見える世界には何一つとして永遠なるものは無い。それは言い換えれば、非常に拠り所のない不確定な世界に生きていて、止まる事のないトレッドミルの上を行く先が見えずに歩き続けるようなものだと云えるかも知れない。この数ヶ月の間に私は改めてそれを実感しつつ、そんな中で「人の道」とは、ともすると暗闇に隠れてしまって、どちらに進んだら良いのか判らなくなってしまうものだ、という事を再認識させられた。

はっきりと明るみの中を歩いてきたつもりでも、じつは複雑に交錯する小道に紛れ込んでしまって、ふとした瞬間に本道からは大分外れてしまっていたと気が付かされたりもする。死後の世界でも同じである。生きている時は、死んだ後の世界の事を深い海溝にぽっかりと空いた深遠な漆黒の闇の様に感じて、それはそれは恐ろしいものだと思い込んでしまう。死んでからもそう思っている人達が多くいるらしい。そういう輩は「お化け」になったりする。つまり暗闇の中で「道」が見えないのである。

要するに、生きていても死んでいても、人は暗闇の中で「道」に迷い易い動物なのだ。生きている場合の闇とは、物理的なものではなく、心が闇に覆われてしまうという意味である。

そんな時に役に立つのは「ランプ」だよね。大きさは関係無い。どんなに小さくても、点いてさえいれば真っ暗な闇の中ではちゃんと見つける事ができるし、よーく目をこらせば足元だってはっきりと照らしてくれているのが判る筈。

私の携帯が鳴った。出てみるとしわがれてはいるものの可愛らしいおばあちゃんの声で、「わたし、良いランプになれたかしら?」とな。私にはその相手がすぐに誰だか 判って、「うん、おばあちゃんのおかげで皆助かってるよ、ランプさん。」

暫くして私はその夢の内容をはっきりと記憶して目が覚めた。暖かい感動が全身を包んでいたので、そのまま瞑想に入る事にした。

あのおばあちゃんの様な屈託のない笑顔、魂の底から出る言葉、真実のメッセージ、そして芸術や匠の技。それらは全て、私達に道を照らしてくれる「ランプ」でもあるんだね。

そういえばあのおばあちゃん、暫く前に亡くなっていたのだそうだ。でも僕の目には見えてるよ、おばあちゃんのランプが。